
復習が大切だと言うことはよく耳にするし、実際に取り組んでいる。それにも関わらず、模試や定期考査、小テストなどで記憶の不確かさを思い知らされる。このような場合に意識すべきことは何か?
学習済みの事柄を長期的に保持し続けるには『復習』が欠かせないが、優れた復習にもまた満たすべき条件がある。一回一回の復習に『傾注』し、『分散』した復習スケジュールを設け、『蓄積』を最優先することで忘却に抗おう。
『傾注』(復習の一)
「何回やっても上手く思い出せるようにならない。自分は勉強に向いてないのではなかろうか・・・」今あなたがこのような悩みを抱いているならば、もしかするとそれはその考え方の根本から間違っている可能性がある。
ところで、 核心に入る前にひとつ質問に答えてほしい。現行の100円硬貨にはどのような柄が描かれているか、自信を持って答えることが出来るだろうか?手元にあればぜひ確認して欲しいのだが、そこには三輪の花が描かれ、そしてそれらは全て桜の花である。これを正確に思い出すことができただろうか?
電子マネーが普及して久しいが、それでも100円玉を数えるほどしか見たことがないという人は少数派だろう。それにも関わらず、正確に思い出せる者は少ない。これは「何百回視界に取り込もうとも、それに強く『傾注』したことがない(注意・関心を向けたことがない)ならば、それを記憶に残すことは出来ない」という事実を示している。我々の記憶はそうした仕様になっているのだ。
さて、ここで「優しい指導者」によって掛けられる「完璧主義は良くない」という非常に耳障りの良い言葉(個人的には悪魔の囁きにも思えるが)について今一度考えてみよう。もちろんこれは生徒のことを思うがゆえ、善意からほとばしった発言なのだろう。曰く、完璧にすることを目標にしてしまうと、途中で挫折してしまう確率が上がる。そして挫折と比べるならば、多少非があろうともその方がまだマシであると。確かに「完璧にやろうとして、一週間しか保たない」のと「多少雑でも一ヶ月続く」のとでは、後者の方が身につく知識は多い。(実際のところ、一回の学習によって完璧にすることは不可能に近いのも確かである)そういった意味において、本当に勉強することが苦手な子にとっては、そうした助言も一理あるのかもしれない。
しかし、その反面大きなデメリットがあることも認知すべきだと思う。それというのも、本節前半で述べたように、知識の習熟には『傾注』が必要であり、それを欠いてしまうと投下した時間的資源の大部分が無駄になり、学習の費用対効果が非常に低くなりかねず、冒頭で述べたような自己効力感(「やれば出来る!」という感覚)の低下に至る可能性が高くなるのだ。そして、これは自尊心に爪痕を残し、勉強への嫌悪感を助長するという点において、ときに、「全く勉強に取り組んだことがない状態」よりも宜しくない結果を今後の人生において引き起こす。したがって(タイミングにもよるが)こうした助言は(特に学習初心者の誤解を引き起こしがちであるという点において)非常に罪深い行いになると言えよう。(我々、教えることを生業とする者の一番の仕事はその教え子に「初めの一歩」を踏み出させることであり、「やっても出来ない」という誤解は「最初の一歩」に対する大きな障害物となりえる)
だからこそ、「今後も幾度となく復習するから、今回は多少雑でも、力を抜いても構わないだろう」という姿勢ではなく、初回であろうと、2回目であろうと、3回目であろうと、いかなるタイミングであろうとも気を抜くことなく、復習の一回一回に真摯に向き合い、その時々での最高を目指して、可能な限り完璧にすべく、学習対象に『傾注』すること。これを日頃から心がけることが肝心なのだ。何度も見るからと雑に繰り返し、時間を浪費することのないよう肝に銘じるべし。
『分散』(復習の二)
我々には、記憶についての一般に共通する性質が少なくとも二点ある。
まず第一に、記憶を保持できる期間は出会う回数が増えるほどに長くなってゆくという点である。そして、より深い記憶への定着は、かつて出会ったことのある何かに『忘れかけたタイミング』で再び遭遇したときに生じるという点である。
この二点から復習スケジューリングについて以下のことが言える。すなわち「知識を効率よく増やしてゆくためには、復習間隔を徐々に伸ばし、分散した復習スケジュールを設定することが有効である」ということだ。当塾ではこれを復習の根本原理とし、以下のタイミングで復習を行うことを推奨している。
- 初回学習日の翌日
- 初回学習日の翌週
- 各種試験の直前
各種試験とは、定期考査・模試・本番などを指すが、特にこれらの直前には、前回の試験から現時点までの間に学習してきたことを一気に総復習するとよい。忘却防止になると同時に、知識同士の関連性に気付き、より深い理解を醸成するきっかけともなるだろう。
ところで「復習回数によって覚えられるかが決まるのであれば、復習スケジュールを組むのも面倒だし、数日間連続で同じことを復習し、それが終わればまた新しい範囲に進めばよいのでは?」と思う人もいるだろう。
しかし、ことはそう単純ではない。これだと、我々の頭は「この情報は今この瞬間においてのみ大切で、もう少し時間が経ったら、忘れてしまっても大丈夫そうだな」と誤解してしまうのだ。すると、それをまた思い出すために、どこかで再度復習を行う必要が生じ、よって、長期的に見れば復習に費やす時間の総量が増えてしまうのである。(ちなみに直前期に関してのみ言うならば、記憶の長期保持の必要がないので、集中的に学習するのも一手である)
また、「こんなに復習していたら、復習に圧迫されて、進める時間が取れないのでは?」と心配する向きもあるかもしれないが、学習プロセス中一番時間を取られるのは、他の知識との関連付け(『構造(習熟の二)』)であるし、忘れかけた知識を再び想起出来る状態にする時間についても加速度的に短くなるものである。目安としてだが、一回一回の学習が適切になされていれば、復習に必要な時間はその都度半分程度 になってゆくのが一般的である。
さて逆に、「これしか復習しなくて大丈夫なのか・・・?」と不安になる場合もあろうが、我々は多くの知識について『構造』を意識した学習を続けているのである。すると、知らず識らずの内に、すでに学習した項目もカタチを変え、自然と復習されることとなる。さらに、他の知識体系に異なるカタチで組み込まれた知識は、それ単体で記憶した場合に比べて、より強く脳に刻まれるのである。よって、三回の復習を終えたら、不都合がある知識に絞り復習するようにして、あとはこれまでに学習してきた事項の総復習&穴埋めを受験の数ヶ月前からメインにスケジュールを組むようにすれば十分である場合が多数派である。
最後にひとつ注意点がある。ここまで述べてきたことは「深く理解し、感覚に馴染ませることを目的として学習を続けていること」が大前提である。常々述べてきたように、それらが伴っていない学習にはさしたる意味がない。焦る気持ちはわからないでもない。それでも、新しい知識・概念と出会ったときは、落ち着き、腰を据え、徹底的に向き合うことを最優先としよう。
『蓄積』(復習の三)
さて、ここでまた繰り返すが、我々は『き・な・こ』である。よって、長期的に学習を進めてゆく中で、細かな計画違いが積み重なり、徐々に計画と現実との乖離が大きくなってくることは十分にあり得ることである。その上、精神面だけでなく、身体的・物理的な面に関しても我々は完全とはほど遠い。体調を崩して、復習に手が回らなくなったり、スランプに陥ってしまうことも少なくない。
こうした想定外の事象に備えて、『どんぶり勘定』を心掛けるべしということについては『緩衝(計画の二)』ですでに説明した通りであるが、しかし、そのような工夫を施した場合にあれど、さらにそれを上回る不測の事態が現れるのが人生である。
では、その結果として、計画によると進むべきだが、実際は復習が追いついていない状態、つまり「計画と現実の板挟み」に陥ってしまった場合にはどちらを優先すべきだろうか?進むべきか、それとも留まるべきか。
青稲塾では、後者を強くおすすめする。特に英数など積み上げ科目に顕著だが、今日学習する範囲が以前学習した範囲に基づいていることは非常に多い。結果、以前学んだことがきちんと整理されていないのであれば、そもそもとして今やっていることを理解することのハードルがすこぶる高いものになってしまうのだ。
新しい知識は、すでにある知識の織りなす綾によってのみ絡め取ることが出来るのである。すでに習熟しておくべき関連知識が抜けた状態で学習を続けることは、底の抜けた柄杓で水を掬おうとするのに等しいと心得よう。
もちろん数英以外の科目でも復習を蔑ろにするのはオススメは出来ない。というのも、受験は基本的には全範囲から出題されるのである。いろいろな箇所にボコボコ穴を残したままにすると、非常にリスキーである上、特に直前の詰め込みの時期に、冬場の鬱屈とした雰囲気も相まって、精神的にかなり辛い思いをすることになる。さらに、その不安感は十中八九、学習者の精神的資源を削り取り、多くの場合、集中力や記憶力の低下を招いてしまう。
このような理由によって、「勉強してるのに身に付いていないかも・・・」と消化不良を感じるときには、焦らずにやったことを確実に残す、すなわち『蓄積』を何よりも優先することをおすすめする。
進むべきか、留まるべきかに迷ったら、先に進める学習を一旦保留し、時間的資源の全てを復習に投下する期間を設けよう。
必要だと思われる時間を、たとえば一週間でも一ヶ月でも、大胆に投下し、残す学習に全力を注ぐ。そうした思い切りも時に必要なのだ。どんどん先に進めても、どんどん忘れていくのでは何の意味もない。覚えたものを完璧にするのが最優先。まずはしっかりと残すことを心がけよう。