国語の指導方針

このページでは、第一に国語を学ぶ魅力について、第二に上達の方法論について、そして第三にどのような教材を用いて国語の実力を磨いてゆくのかについて説明します。

※学校で、特に中学校以降で国語という言葉を使う場合、それは現代文・古文・漢文から成る教科のことを指しますが、ここでは現代文に絞って説明します。

魅力

国語の魅力

「現代文の魅力は・・・」なんて始めると、「読解は全ての基礎であり、読解力が高ければ、他教科への波及効果がうんぬん・・・」なんて説明が続きそうだなと思われるかもしれません。 確かにそれも素晴らしい点の1つではあるのですが、ここで言うそれは、より広い視点から見た、言うなれば、あなたがより良い人生を歩んでゆくために、現代文を学ぶことがどのような助けとなるのか。ここでお話するのは、そういった話になります。

とはいっても、さすがにその素晴らしさのすべてについて述べるには紙幅が足りないので、ここでは、三つだけピックアップして説明してゆこうと思います。

まず現代文の魅力その一は、現代文を学ぶことによって『自己をコントロールすること』がより簡単になるということです。生まれたばかりの赤ん坊はよく泣きます。身の回りに存在するものは、全くもって未知のものばかり。何がどのように自分と関係を取り結んでいるのかも、それが安全なものなのか、危険なものなのかすらもわからず、漠然とした不安状態にあります。(怖いという概念自体も非常に曖昧な状態として、心のうちにあります)その上、赤ん坊は己を詳しく表現するすべを知りません。今感じている漠然とした不安、恐怖、不快感をどう伝えてよいのかわかりません。想像してみてください。自分の抱える漠然とした「なにか不快なもの」が、どのようなものなのか判然とせず、一人で対処することも叶わず、その上、助けを求めようにも、他者に自分の意思を伝えるすべを持たない状況を・・・。

さて、このように、自分の感情をうまく整理することも、それを表現することも難しいという状況に陥ってしまったとき、どうしていいか分からず、赤ちゃんは泣いてしまうわけですが、ところで、これを読んでいるあなたにも同じような経験があるのではないでしょうか?なんと言っていいか、どうすべきかわからず、気持ちが昂り、衝動を抑えられなくなってしまい、そうした感情的なドラマの何らかの結末として涙が溢れてしまう。こうしたことは、大人になってからもままあることですし、他者に危害を加えないのであれば、何ら悪いことではないと個人的には思います。しかし、もしもあなたがそうした状況に陥る機会を減らしたいのであれば、ひとつ、解決策があります。それは、そうしたなんともなしのフィーリングを仕舞うべき場所、言うならば心の引き出しを増やすことです。

現代文を学ぶことの魅力の一つはまさにここにあるのだと思います。多種多様な文章の読解を通して、あなたは様々な言葉・物語・意見に遭遇します。それらはあなたの心の引き出しを増やしてくれます。それは、なんとなしに胸中に存在した、漠然としたフィーリングに対して、居場所を与え、それが何であるのかを特定するヒントをくれます。それどころか、時にはどのように対処するべきかについて、お手本を示してくれることさえあります。もし問題が解決されなかった場合にも、「それがどのような問題なのかを特定している」という感覚さえ持てれば、不思議なことではありますが、それだけで不安は幾分か和らぎ、その分だけ生きやすくなるものです。

このように、現代文は「怖くて、不安で、しんどくて、逃げ出したくてしょうがない」という状況にも、どうにか自分を奮い立たせ、姿勢を正し、困難に立ち向かう助けとなります。これだけでも、現代文を学ぶ価値はあるのではないでしょうか?

さて、第二の魅力は『相手を理解し、相手に理解してもらえる確率が高まる』ということです。上記の内容と重なりますが、多種多様な文章を読解することで、私たちは心の内にたくさんの引き出しを持つことになります。そして、その副産物として、相手の意図を推し量ることができる確率も、相手にわかってもらえるように意見を示すことができる確率も高まることとなります。

「相手の言いたいことがよくわからず、つまらない」という理由で交流をやめた知人はいないでしょうか?彼ら・彼女らの中には伝えるのが苦手なだけで、実は心の内に、あなたにとってとても魅力的な、素敵な考えを秘めている人が居たかもしれません。これは相手からしても同じことで、あなたが魅力的なアイディアを持っていたとしても、それを伝える技能が不十分であれば、それは十分に伝わりきらず、結果として相手はあなたの元を去ってしまうかもしれません。もし、そうした残念な誤解による別れが防げれば、その分あなたの人生はより豊かなものになるでしょう。

最後に、第三の魅力です。ここまでは少々抽象的な話になってしまいましたが、これは具体的で単純明快。すなわち『経済的自由の拡大』です。上記したように、現代文をしっかりと学ぶことは、相手の主張を正確に読み取り、こちらの要望を誤解なく伝えられるようになる助けとなるわけですが、これは社会的存在である我々人間が、それぞれの所属する部分社会(家庭・学校・会社・趣味の集まりなど)において有利に立ち回ることを助けてくれます。とりわけ、会社においてステップアップするには、その会社において、あなたの存在感を拡大してゆくことが重要ですが、それを行うには、特に権限を持つ人物のして欲しい事をその人の望むように行うことが求められます。あるいは、起業して一人で稼ぐ際にも、お客さんのニーズを正確に把握することは何よりも重要です。いずれにせよ、より多く稼げるようになるには、相手の言うことを正確に読み解くことが欠かせないのです。そうした意味において、現代文の学習はあなたの経済的自由を拡大してくれる助けとなるでしょう。

方法

国語の方法

高水準の読解力を養成するには、大きく三つの柱があると青稲塾では考えています。

ひとつめは、より多くの『語彙』を獲得することです。というのも、文章は文の集合体であり、文は単語から構成されます。もちろん、一文が理解できれば文章全体の要旨が理解できるというわけではありませんが、一文一文の理解がままならない状態で、要旨を把握できることはありえません。したがって、当塾では、読解の訓練と同時並行で『語彙』の学習も継続的に行ってゆきます。なお、本当に基本的なものに関しては、必要があれば、漢検テキスト(中学生なら3級・高校生なら2級が目安)などで対策し、文章読解上のキーワードになる確率が高い単語は現代文用語集などを題材に慣れていってもらいます。

次に大切なのが、『要約』の訓練を多く試みることです。文法と単語の知識をフル活用し、一文と一文の関係性を整理し、そこで述べられているトピックの意味合いを特定すること。より大きな文脈の中で、それらのトピックスの文脈的位置取りを考えることにより、文章全体を貫く対立構造と論証構造を脳内に再構築してゆくこと。そして、それを突き詰めて一言要約を行ってから、さらに肉付けすることで、過不足ない要約を完成させること。当塾では、こうしたハードな知的作業による徹底的練磨を通し、骨太の読解力を養成することを目標としています。

最後に『教養』ですが、難関校の入試で遭遇する文章には、抽象度が高く、難解なものが多く含まれます。もちろん、そこで主張される主義、主張をあらかじめ教養として備えておく必要はありませんが、とはいえ、そうした難解な主張の理解をサポートする最低限度の教養は備えていなければ、そうした文章の内容を理解することはかなり難しくなります。高度な文章を理解するには、その著者が「この文章に興味を持つ人なら、このくらいのことは当然知っているだろう」と判断した背景知識を実際に有している必要があります。いかに接続詞や文法を使いこなし、形式的読解を試みようとも限界があるのです。

したがって、当塾では、現代文の授業中に大いに余談・雑談を挟み込み、ときに推薦図書を紹介することにより、その時々に読み込んでゆく文章の中心たる話題の近くにどのような知識の広がりがあるのかを学習し、知識人の中での常識的価値観に思考を馴染ませてゆくことによって、様々なバリエーションの文章に対応可能な読解力が身につくよう指導いたします。

※ここで言う『教養』とは、テクストを理解する際に参照できる一連の体系的知識という意味で使用しています。

教材

学校教材・問題集・用語集・過去問・論理パズル・新書などの中から、本人にあったものを選択します。